Story Tellers from the Coming Generation! Interactive fighting novel JOJO-CON

双方向対戦小説ジョジョ魂



23.父と子
〜 Two Fathers 〜


「とうさん、気分が悪いのかい? だったら…………この薬を飲みなよ………」

 彼の父親が病の床に伏してから、そろそろ長くなってきた。ロクな蓄えも稼ぎもない父子家庭で、病気の父親を看病しつつ自分達2人の日々の食事を確保するという事は、まだ10歳かそこらの少年にとって、どれほどの苦労だったろう?
 ……しかし!

「バッキャロ――ッ!!」

 そんな息子の優しさに対して父親が返したものは、一言の罵声と一発の鉄拳だった。

「ディオ! てめ〜ッ薬を買う金なんか、ど―――やってつくったァ〜〜〜ッ!!」
「チェスをして勝ったんだよ……とうさ…」
「だったらその金で酒を買ってこいってんだよォ――――ッ! マヌケがァ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 父の手から離れた酒ビンが、息子のすぐ後ろでハデな音をたてて砕け散る。彼らはいつもこうだった。


 ダリオ・ブランドーは昔からお世辞にも「善良」や「真面目」とは言えない男だったが、少なくとも一時期は幸運に恵まれていた。
 10年余り前、ダリオはある貴族の馬車の転落事故に遭遇し、迷わずその所持品を狙った。それが結果的にその貴族を介抱した形になり、相手の誤解もあって、逆に「命の恩人」扱いされる事になったのだ。
 幸運はそれだけではなかった。事故の後、ダリオは事故現場で盗んだ結婚指輪を質に入れようとして、足がついて投獄される事になった。だが何と! その貴族は逆に、警察にダリオの無罪を主張してくれた! 死んだ妻との思い出の品に手をつけたような最低の男に、その貴族は逆に救いの手を差し伸べたのだ!
 そんな博愛精神溢れる貴族からの多額の礼金で、彼は酒場を開いた。

 ……しかし、ダリオの幸運も長くは続かなかった。結局その後でツキに見放され、妻に先立たれ、酒場が潰れてからというもの、彼の生活は荒む一方だった。

 そんな父親の面倒を、この息子はずっと見ていた。醜くて、ズル賢くて、母親に苦労をかけて死なせた、最低の父親。だが、それでも息子にとって父親は父親だったのだ。
 そう……まだ、この時までは――。


「酒こそ薬さ! こいつをたたき売って酒買ってこいィーッ。今すぐだァー!!」

 ダリオは古びたドレスを取り出すと、それを無造作に息子へと投げ渡した。

「うっ……! こ…これは母さんのドレスだッ!!」

 彼が母親について確実に覚えていたのは、母が「苦労していた」という事。苦労の末に体を壊し、最後には帰らぬ人となった事だった。そして、その苦労の源だった張本人は、自分の妻の形見に何の未練も残さず、ただその日の酒代のためにあっさり投げ捨て、なおもこう言い放った。

「死んじまった女のものなんか用はねェぜッ!」

 そして、ダリオはまた酒ビンにディープなキスをした。

「地……地獄へ落としてやるッ!

 この時、流した涙とともに、少年の中からは何かが外に出て行ってしまったのかもしれない。人間の、とても大切な……何かが。


 間もなく、少年は父の薬を買う店を替える。家から少し離れたチャイナタウンの小さな薬屋に。
 そして、その甲斐あって、その後ダリオの病は順調に「悪化」した。

 この少年は知っていたのだろうか? ダリオは確かに最低の男だったかもしれないが、決して息子の事を気遣わなかったわけではないのだ。
 だからこそ――

「ディオ! ちょいとここへ来い。話がある。おれはもう長いことねえ…………わかるんだ…………じき死ぬ………死んだあとの気がかりはひとり息子のおめえだけだ…………いいか、ディオ」

 だからこそ、命も燃え尽きようという時になって、息子のために最後の贈り物を用意した。

「おれが死んだらこの手紙を出してこの宛名の人の所へ行け! こいつはおれに恩がある………きっとおまえの生活の面倒を見てくれる。学校へも行かせてくれるだろう! こいつはおれに恩があるんだ。ケケケ!」

 手紙の宛先は件の貴族の男だった。
 前述の通り、実際には「恩がある」のはダリオの方なのだが、そんな事を息子に言えるはずなどあろうはずもない。そしてこの後、全ての事情を知っていてなお、その貴族は「命の恩人への当然の恩返し」として、ダリオの願いを聞き届けるのだった。

「ディオッ! おれが死んだらジョースター家に行けッ。おまえは頭がいいッ! 誰にも負けねえ一番の金持ちになれよッ」

 もしもこの少年が少しでも実父の愛を実感していたなら……もしもこの父親がかつて貴族の男から受けた博愛の心を少しでも息子に伝えていたなら……この少年を中心に、一体何人の人生が変わっていた事だろうか……。



24.翳り
〜 One Son 〜


「まだ聞こえますね……」

 うつむいたまま、ジョルノは静かに呟いた。

「ああ……」

 ポルナレフがそれに答えた。

 こうやって飽きるほど聞いてみると、「サイレン」にも色々あるものだ。消防車、救急車、パトカー……それら全てのサイレンが、さっきから夜のフィレンツェに響き渡っている。

 2人は今、「亀」(ココ・ジャンボ)の中の部屋にいる。
 ベッドではなくソファで眠らなければならないが、この亀の中はちょっとしたホテル代わりにできる程度の快適さである。亀というのは元々あまり動き回るような生き物ではないし、こういった「遠征」では、「敵」に狙われにくいという点からも、ホテルに泊まるよりも、どこかの物陰で「亀」の中で寝泊まりする事が多い。
 ただ、今回の場合、「敵」は既に片付いているのだが。

「僕のせいだ……」

 またジョルノが呟き始めた。

「僕があの時とっとと片付けていれば、こんな事には……!」
「おまえだけのせいじゃあない……オレにも、誰にも予想できなかった事だ。あまり自分を責めるな……」

 銀髪のフランス人が金髪の日系少年に優しく声をかける。
 ちなみに、言葉尻の差異はあれ、これと同じ問答はさっきから既に数回繰り返されていた。

 ポルナレフには違和感があった。
 確かにジョルノらしからぬミスが招いた事態であり、それだけでも充分な違和感なのだが、それ以上に、うなだれて己の失敗を悔やみ続けている目の前の少年が、どうにもポルナレフの中のジョルノ像と重ならない。
 これも最近のジョルノの不調から来ているのだろう。となれば――

「ジョルノ、責める気はないが、代わりに今度こそ答えてもらうぞ」
「はい?」

 顔を上げたジョルノに、ポルナレフが続ける。

「本当に、最近どうした? さっきの事といい、ここしばらくの様子といい、『らしくない』のオンパレードだぞ? 『最近忙しいから疲れてます』なんて答えじゃあとても納得できんな」
「それは……」

 ジョルノは顔を背けた。

「なんだ? 悩みでもあるのか? とにかく何でもいいから少し話してみろ。一応これでもおまえの倍は生きて『いた』身だ。ちょっとぐらいは相談に乗れるつもりだぞ?」

 ポルナレフには本当に「責める」気はないのだ。それは、役割からすれば『矢』の管理者としてその使用者の不調を危惧しての質問であり、心情的には、年下の仲間の不調を見逃せないが故の言葉だった。

「ホレ、どうした? あ、ガラにもなく恋わずらいか? 気になるんならとりあえず声かけてみ……」
「それじゃあ……」

 別にポルナレフの邪推が暴走するのを止めたいからというわけでもなく、唐突にジョルノが口を挟んだ。

「本当に……本当にくだらない事ですが……」
「『悩み』なんてのは人様から見れば半分ぐらいは『くだらない』もんだ。気にしないで言ってみろ」

 ポルナレフの言葉と表情はどこまでも優しく、暖かい。ジョルノはそれを感じつつも、なお暗い面持ちで話した。

「最近……『眠れない』んですよ」
「あ? なんだ、不眠症か?」
「それが、寝付く事はできるんですが、すぐに目が覚めてしまうんですよ……その……妙な夢を見て……」
「『夢』? どんなのだ?」

 別にポルナレフは夢分析などできないが、とりあえず聞いてみない事には始まらない。悩みが原因の悪夢なら、聞いてやるだけでも気を楽にしてやれるかもしれない。
 だが……それは甘かった……。

「いつも同じ夢なんです……真っ暗な中でこっちに背を向けて『男』が立っていて、僕が話し掛けようとするとそれがこっちを振り返って笑って……いきなり首だけになって……! いつの間にか周り中が血の海で! それからその生首の下から……」
「お、落ち着け、ジョルノ!」

 だんだん言葉と呼吸が速まってきていたジョルノを、とっさにポルナレフが制した。

「……すみません。やっぱりおかしいですよね……」
「あ、いや、それは構わないんだが……」

 予想外の展開に内心ポルナレフは戸惑っていた。随分とグロテスクな夢を見たものだ。そんな夢を繰り返し見る時点で「健康な精神状態」でないのは確かだが、その意味がわからない。
 少し角度を変えてみよう。

「いつも同じ夢だと言ったが、その生首男ってのも、いつも同じ奴なのか?」
「ええ。同じも何も……」
「知ってる奴か? お……おい、まさか、オレ達の誰かなんじゃ……」
「いえ……僕の……」
「おまえの?」

 ジョルノはここで少し黙ると、思い切ったように言った。

「僕の……『父親』です」
「!」

 ポルナレフは既に動いてもいない心臓が大きく弾けた気がした。そして……思わず叫んだ!

「ディオだと!? 『ヤツ』の夢か!?」
「……え?」
「あ……!」

 自分の失言に気付いて反射的に手で口を覆った時、ポルナレフは既に通ってもいない血が全身から失せていく感じがした。
 ジョルノは「ポルナレフが(写真で)ディオ(の顔と名前)を知っている」という事は知っている。そうとしか認識していないジョルノから見て、今のポルナレフの反応は、果たして「自然な反応」に思えるだろうか?

「……ポルナレフさん…………?」



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空条 Q太郎さんの「ワンチェン(with生首ディオ)」

vs

かんなさん/言造さんの「ブローノ・ブチャラティ」

マッチメーカー :pz@-v2
バトルステージ :アツい○○
ストーリーモード :Fantastic Mode

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25.今そこにある真実
〜 The Truth Is Out There 〜


 確かにそうだ……間違いない……!

「デェヘヘヘヘ! ディオ様は言ったね!」

 こいつだ……この顔だ!

「おまえを仕留めろと! 血を吸っても良いと!」

 しかし何故……何故なんだ……?

「ヴェロヴェロ舐めてやるね……」

 やはり、何かの間違いか? いや、しかし偶然にしては……。

「おまえの血を! この素早〜い舌でなぁ〜〜! ヘッヘッヘェ〜ッ!」

 待てよ、もしも……もしも本当だとすれば、ポルナレフさんは……まさか!

「聞いてるか小僧!」
「はっ!?」

 やっとブチャラティは我に返った。

 さっきからワンチェンが騒いでいたのだが、全然耳に入っていなかった。ブチャラティの意識はずっと、やかましい中国人屍生人(ゾンビ)ではなく、その左肩に陣取っている生首だけに向いていた。いや、あるいは周囲の全てが目に入らず、ただただ自らの記憶だけに注意を奪われていたと言うべきかもしれない。

「フン、どうした? 目眩はするだろうが、意識がなくなるタイプの毒ではなかったはずだが?」

 例によって余裕の笑みを浮かべながらディオが言う。
 一方ブチャラティは、ここで改めて言われるまで、一瞬だが、己の肉体が麻痺毒に蝕まれている事すら忘れかけていた。命に関わる重要問題すら霞んでしまうほど、彼が思い出した事実は衝撃的だったのだ。
 もう一度、眼前の生首と、記憶の中の写真を見比べてみる。しかし、何度考えても答えは同じ。角度こそ違えど、2つの顔は同じものにしか思えなかった。

(こいつがジョルノの……ジョルノの『父親』……?)

 別に、親が悪党だからといって、子供がそうであるとは限らない。一緒に育ったのでないのであれば尚更だ。身近に実例もある。だから、ここで「実はジョルノの父親は邪悪の化身でした」と言われても、驚く事はあっても、「信じられない」と感じるほどではないだろう。
 だが、この場合は問題が違う。「悪人」や「人非人」どころか、このディオという男は比喩抜きに「人間ではない」のだ。母親が普通の人間とはいえ、吸血鬼の親から人間の子供が生まれるのか? 死人が屍生人になる事を考えれば、「普通の人間だったジョルノの父親が後で吸血鬼になった」という可能性もある。だが、さっきまでの話からすれば、ディオは100年以上も生きている事になる。
 では……一体……?

「くだらん時間稼ぎするでないと言ってるね!」
「やめろ、ワンチェン」

 優位に立っているはずのディオもまた、この状況にある種の戸惑を感じていた。
 ワンチェンはわかっていないが、今のブチャラティにとって時間稼ぎなど百害あって一利ないはずだ。それに、奴自身もスタンドも、何かの罠を準備している様子はない。では何故か?

(最後の『勧誘』を拒絶した時点では、奴の眼にはまだ力があった。あれだけ減らず口を叩いていたのが突然このザマとは……? あの時の台詞……毒、スタンド能力、あとは……)

“何だ、化け物にも『姓』はあるのか……”

(……! そう言えば、さっきからこっちの『顔』ばかりジロジロ見ている……)

 ディオはここで少し考え込み、その口元を歪めた。

「なるほど……てっきり知らないのだと思っていたが……そうか、どうやら気付いたらしいな。フン! 突然黙り込んだわけがわかったぞ。こう言って欲しいのか? 『このディオこそジョルノ・ジョバァーナの父親だ』となァ!」
「!! …………クッ……!」

 両者の予想はそれぞれ的中していた。

「何故だ!? ジョルノは人間だぞ? 貴様のような化け物じゃあない!」
「らしいな。どうやら吸血鬼の体質というのは遺伝しないものらしい。あるいは、単に『肉体』の方の遺伝が強いだけかもしれんがな」
「どういう事だ?」

 だんだん必死になっているブチャラティだが、それとは対照的に、ディオの顔には今まで以上の笑みが浮かんでいる。

「フン、実はなぁブチャラティ。このディオ、過去においても今のように首だけの身になった事がある。その時には『ある男』の肉体を奪って生き延びたのだ。当時の宿敵の肉体をな」
「……肉体を? どういう意味だ?」
「どうもこうも、そのままの意味だ。自分の首を新しい肉体と結合させただけの事だ。邪魔な頭を切断してな!」
「!」

 さっきからディオの常軌を逸した化け物ぶりには慣れたつもりだったブチャラティだが、流石にこれは想像を絶していた。だが、言われてみれば思い当たる事もある。ジョルノの持っていた写真のディオには、確か首周りに大きな傷があったはずだ。何の傷かと少し疑問だったが、まさか肉体の継ぎ目だったとは……。
 ディオが構わず続ける。

「ジョルノ・ジョバァーナの話に戻るが、写真で見たところ、奴の顔はその男に非常によく似ている。つまり、ジョルノには父親であるこのディオと母親、そして、かつて我が肉体であった男の3人分の血が受け継がれた、という事だ」
「そ、そんな事が……」
「あり得ないと思うか? だが、その3人の中で金髪はこのディオだけ、東洋人は女だけだ。それと、ジョルノの首筋あたりに星型のアザはないか? あのアザはもう1人の男のものだ。どうだ? 思い浮かべてみろ、我が息子の姿を!」

 確かにディオの言う通りだ。こんなSFじみた事が現実に……。
 察するに、ポルナレフは以前からジョルノとディオの関係に気付いていたのだろう。『矢』を入手した経緯や「エジプトでの闘い」について言葉を濁していたのはそのためか。
 そうだ、そう言えばモストロが妙な事を言っていた。あの時は何の事だか全くわからなかったが……まさか!

「貴様の言う事が本当だとして、貴様は…………実の息子の命を犠牲にしてまで肉体を取り戻したいのか!」
「ほう、見抜いたか」

(……やはりか……)

 ブチャラティ最悪の予感も見事に的中だった。
 それを嘲笑うように、邪悪の化身は続ける。

「フン、その通りだ。このディオの新たなる肉体として我が息子ジョルノ・ジョバァーナを選んだ! 前の肉体を奪った時、『馴染む』までは随分と時間がかかった。だが! 普通の臓器移植でさえ肉親同士の方が適合率は高いという! 我が子の肉体はさぞ『馴染む』だろう! 現に、前の肉体の時、例の宿敵の子孫の血は、誰のものよりもよく『馴染んだ』からなァ!」

 ディオは余裕の表情を崩さぬままあっさりと言い放った。そしてブチャラティはまた黙り込む。

 おそらくかつてのディオは、いつかまた肉体を失うか、あるいは大きなダメージを負う事態を想定していたのだろう。その時に備えての「スペアボディ」か「輸血用血液」がジョルノだったわけだ。いつからだ? 最近になって初めてジョルノの存在を知ったのか? ジョルノが子供の頃からか? 赤ん坊の頃? 母親の胎内にいた頃? それとも存在すらしないうち…………。

「フン、どうした? おしゃべりはもう終わりか?」

 ディオの台詞を、今度は意に介しつつも、ブチャラティはまだ黙って考え続けている。

 聞いたところでは、ジョルノの母親は我が子に無関心で、よく幼いジョルノを放り出して遊び回っていたらしい。その母親が後になってイタリア人と結婚したために、ジョルノもイタリアに連れて来られたわけだが、その義父というのがまたひどい男で、何かと苛立っては、陰でジョルノを殴っていたそうだ。
 そうしてジョルノはすっかり他人に脅えながら生きるようになり、それが元で近所の悪ガキからもいじめられる立場になっていた。それが、ある日たまたま助けた見知らぬ男が、その「恩返し」として義父達に働きかけてくれた事から、初めて他人を信頼する事を学び、すっかり立ち直って今に至ったという。
 その男が「ギャング」だったためにジョルノが「ギャングスター」に憧れる事になったのも、無理からぬ事だろう。

 普段はそんな素振りを全く見せないが、幼い頃のジョルノはずっと耐え難い孤独を味わってきたはずだ。そして現在、母親や義父のものではなく、会った事もない実の父親の写真だけを持ち歩いている裏には、どんな心情があるのだろう?

(それなのに……実の父親は……あいつを…………)

 そうして考え込むうちに…………自然とブチャラティの迷いは晴れていった。不思議なほどあっさりと、その意志は固まったのだ。

「どうしたブチャラティ? まだ何か言いたい事があるか?」
「いや……ないな。俺が言う事は何もない……」

 相変わらず余裕のディオに、今度はブチャラティもはっきり答えた。

「フン、本当か? 何か言いたそうな顔に見えるぞ?」
「いいや……ない……」

 ブチャラティはゆっくりと前を見据えると、

「本当に、何もないんだ…………俺が、ジョルノに対して、父親に関して言う事は何もない!

 そう言うが早いか、一瞬でディオ(とワンチェン)に飛び掛かり、着地を待たずにスタンドを出現させると、その拳を振り下ろす!

「うおおおおおおおお!!」
「後ろだ、ワンチェン!」
「ヒッ!」

 あわやのところでワンチェンが飛び退いたため、スタンド『スティッキィ・フィンガーズ』の拳は床を直撃し、1メートルほどのジッパー穴を空けた。
 それでもブチャラティの攻撃は止まらない! 殺気と雄叫びを振り撒きながら、なおもその拳を放ち続ける!

「ヒィィィ!」

 ディオの指示に合わせ、自分の目では見えない拳をワンチェンはかろうじてかわしていく。
 そうしてワンチェンが10発前後の攻撃をどうにか避けきると、ブチャラティはようやく足を止めた。的を外した攻撃の痕跡は、床や壁にジッパーとなって残っている。さきほどのように消える事なく、全てのジッパーは口を開けたままだ。扉側の壁に空いた穴からは、外の廊下からの光が射し込んでいる。

「フン、打ち止めか? 随分と息が上がっているようじゃあないか」

 確かにブチャラティは息を切らしている。これはもはや毒の影響と無関係に、速攻による疲労であろう。
 だが、その呼吸の乱れは、数回の深呼吸を経てだんだんと静まり、呼吸音が聞こえなくなる頃、ブチャラティはゆっくり静かにディオの方を向いた。その眼には今まで以上の怒りが宿っているが、我を忘れた男のものでもない。

「なるほど。今の速攻は我々を倒すよりも、自らを落ち着けるためのものだったというわけか。多くの者の上に立つ男の行動としてはどうかと思うが、効果はあったようだな」
「そいつはどうも……」

 ブチャラティは既に最低限の冷静さを取り戻していた。

「ジョルノの父親は10年以上前に死んだ見知らぬ男! あいつにとって『心の父』は、幼い頃に出会ったギャングの男! それでいい! 今更あいつに『実の父親』など必要ないんだ!」
「おやおや、随分ひどい男だな。大事な仲間の肉親を、本人に何も知らせずに殺そうとは」
「俺をナメるな! 『仲間の父親を殺そうとする』のはこれが初めてじゃあないんだぜ!」

 きっぱりと断言したブチャラティの台詞に嘘はない。
 かつて組織『パッショーネ』の先代ボスであったディアボロは、自分の娘(トリッシュ・ウナ)の存在を知ると、ブチャラティのチームにその護衛をさせた。そして、いざ娘を引き取るという時、自ら娘を殺そうとしたのだ。ディオはもちろん知らないが、それこそブチャラティがディアボロと組織への裏切りを実行に移す最終的な契機だった。「実の親が自分の都合だけのために子を殺そうとする」というその非道は、2年の時を経て再びブチャラティの逆鱗に触れたのだ!

「フム、流石はギャングと言ったところか。だが、『殺そうとする』のは勝手だが、果たして無事に達成できるかな?」
「そうね! もう随分と毒も回った頃。おまえ、まだ闘えるつもりか!?」
「ナメるなと言っただろう。貴様らこそ、スタンドも手駒もなしに勝てるつもりか?」

 言いたい事を言い終わると、今度は互いが無言のまま見詰め合う。
 だがこの時、ブチャラティだけはまだ気付いていなかった。さっきから自分の後ろで「死んでいる」男が今、ゆっくりと立ち上がろうとしている事に……!

「フン、ならば行くぞ、ブチャラティ! 最終ラウンドだァァァァ!




ROUND 3

〜 The End of a Sultry Night 〜



26.白髪鬼
〜 Mostro Monster 〜


 立ち上がる際のわずかな音をディオの声でかき消され、男はそのまま跳び上がると、ブチャラティのガラ空きの背中めがけてその腕を振り下ろす!

(ヒヒ! 終わりね!)

「はっ!?」

 ブチャラティは反射的に振り返ると、これまた反射的にスタンドで防御姿勢を取った。次の瞬間、『スティッキィ・フィンガーズ』の腕が強烈な一撃をかろうじて受け止めた。

「チィィィィ〜〜ッ! スタンドかあああァァァァ〜〜〜!!」

 スタンド越しに顔を覗かせるその男を見てブチャラティは呟いた。

「モストロ……」

 そこにいたのは、さっきディオに血を吸われて死んだ大富豪、カピターレ・モストロその人だった。ただ、以前と大きく異なるのは、その歪みきった形相と、彼がもう人間ではないという事だ。

「こぉぉざかしいィ若造がァァ〜〜!」
「やめろ。一旦離れろ、モストロ」
「……ははっ! ディオ様!」

 ディオの命令を聞くと、モストロはすぐさま後ろに跳び退いた。

「気分は良さそうだな、モストロ?」
「はい、ディオ様! 私めに新しい命と力を授けていただき感謝いたします!」

 怪物達の会話中も、ブチャラティは前後に分かれた敵の両方に注意を向けている。その瞳はモストロに向いた時だけ、一瞬だが暗く濁る。

「しかし大したものだな、ブチャラティ。今のモストロの不意討ち、何故わかった?」
「別に。ワンチェンのニヤけた眼が、俺ではなく『俺の背後』に向いている事に気付いただけだ」

 ブチャラティは不愉快そのものと言わんばかりの声で答えた。

「ワ〜〜ンチェンンン〜〜〜! 貴様、足を引っ張りおってええェ!」
「なっ! 何言うか! おまえがもっと素早く殺ってれば終わってた事! 人のせいにするでないね!」
「ほざくなァ! 力を得て生まれ変わった今ッ! もはや貴様にでかい面をされる理由は何ひとつなああいいいィィィ〜〜〜〜!」

 互いに屍生人になっても、相変わらず2人はウマが合わないようだ。そして、不仲の相手に自分と同じ能力を手に入れられたワンチェンは、明らかに悔しがっているようだ。

「おいおい、2人とも、つまらん争いはやめて、こちらの客人の相手をしてくれないか」
『は、はい! ディオ様!』

 犬猿の仲である2人の返事は、今度はまさにピッタリのタイミングだった。

「勘違いするなよ、モストロ」

 ちょうど屍生人2人の中間で両者に交互に眼を向けていたブチャラティは、その視線を固定しないままで話し始めた。

「おまえはヴィッティマとは違う……おまえは『罪もない犠牲者』じゃあないんだ。だから、俺はおまえに同情しない……そっちの2人と同じ、ただの『化け物』として! おまえを始末する!」

 その声に迷いはない。元々必要となれば殺す覚悟をしていた相手だ。人間ですらなくなった今、始末する事に何の躊躇もない。
 ……少なくとも、ブチャラティ本人はそう自覚していた。

「フハハハハハ! ブチャラティィィ〜〜〜! 生前は随分とナメてくれていたが……もはや貴様も私にとっては『地べたをノソノソ這い回るミミズ』程度の存在でしかなァいのだぞ〜? 『始末する』などと、片腹痛いわ!」
「腰を抜かして呆けていたせいで見てなかったか? さっきまで、今のおまえと同じ力を持った奴が2人がかりで、セコンドまでつけて、俺に手を焼いていたんだがな」
「はン! この私をそこのジジイやあっちに転がってる小娘と一緒にしない事だなああァアア! ディオ様! この無礼者、ブチ殺して構いませんな?」
「ああ、構わん。生かしたまま『肉の芽』を植え付けられればベストだが、そこまでの余裕はなさそうだ。そいつには『死んだ後』で協力してもらえば済む。それと、攻めを焦るなよ。そいつには麻痺毒のハンデがある」
「フハハ! 承知!」

 そして屍生人達がまたフォーメーション移動に入った。例によって豹の速さと猿の軽やかさだ。

(さて、どう来る?)

 ブチャラティは周囲全てに気を配りながら、ほとんど動かずにいる。少しでも消耗を避けるためだ。

「フハハハハハハ! なァ〜んだブチャラティ! 若いくせにもうグロッキーかなぁああッ!」

 大きく叫んだ直後、モストロはブチャラティめがけて突進を始めた!
 ……しかし、

「っと、その前にィィィ!」

 ブチャラティのスタンドの間合いに入る前に、モストロは進路を変え、そのままブチャラティの横を通り過ぎた。

「ハッ! いくらパワーを得たとはいえ、スタンド使い相手にまともに正面から挑むほど、私は愚かではなァいのだァ!」

 こう言われてブチャラティは気付いた。モストロの進む方向にあるのは……この部屋の出入口だ!

(ま……まずい! 一旦この場を去るつもりか!? それだけは……!)

 それだけは避けなければいけない。こいつらを1人でも逃せば、また新たな犠牲者と屍生人が増える事になる! まさか屍生人が主人であるディオを置き去りにして逃げを打つとは……。

「『まさか主人を置き去りにして逃げを打つとは……』とでも考えているかな? ブチャラティィ〜!」
「!?」
「馬鹿がッ! 大ハズレだァァああ〜!」

 モストロは一瞬完全に意表を突かれたブチャラティを嘲笑うと、正面の出入口から少しだけ横にズレた壁に跳び付いた。

「UUURRRYYYYYYY!」

 屍生人特有らしい異様な咆哮とともに、モストロは「それ」を強引に引っ張った。コンクリートと鋼鉄が悲鳴のように音を立てながら歪み、割れ、砕け、そのまますぐにこの部屋の出入口から「鉄扉」がもぎ取られた。

「グハハハハハ! 使わせてもらうぞぉおお〜〜〜ブチャラティイィィ〜〜〜〜!!」

 言葉が終わるのを待たずに、モストロは分厚く巨大な鉄扉を両手で力強く掴むと、ブチャラティの方に数歩踏み込んで、野球のバットよろしく床と平行に振り回した。

「くっ! (まずい……ジッパーで扉を分解しようにも、下手に本体にかすりでもすれば、おそらく破片の1つでも粉砕骨折は確実……!)」

 ブチャラティはスタンドでガードしつつ必死に跳び退き、鋼鉄の一閃を間一髪でかわした。しかし武器そのものをかわしたとはいえ、それが巻き起こした強烈な風圧までは避け切れず、無茶な回避動作の分と合わせて全身のバランスが大きく崩れる。

「ぬんんんンンン!」

 狙いを外したモストロは、特大鈍器が周囲のコンクリートを破壊する前に、強引にそのスイングを止めた。このサイズの鉄塊を振り回した圧倒的な遠心力と慣性だ。流石に「易々」というわけではなかったが、それでも強引に止め切ってしまったのだ。
 一方、ブチャラティはまだ足に重心をかける事すらできていない。

「ヒヒヒッ! 隙有りね!」
「くっ!」

 もちろん、ここぞとばかりにワンチェンは鉄爪で追い討ちをかけてきた。
 ブチャラティはその場でスタンドの裏拳を振るうが、当然それはワンチェン(と言うよりディオ)にとっても予想通り。ワンチェンは『スティッキィ・フィンガーズ』を跳び越え、空中で体を捻りながら1回転しつつ、鉄爪の斬撃を繰り出す!

 その後、ワンチェンの爪先がボロボロのカーペットに触れるのと、ブチャラティの左肩から血が飛び散るのはほぼ同時だった。

「……!」

 『スティッキィ・フィンガーズ』は空を切った裏拳をそのまま本体の傷口に当て、爪痕をジッパーで塞いだ。新たに麻痺毒を注ぎ込まれた傷口を……。

「フン、毒を吸い出すよりも傷を塞ぐ方を優先するとは……どうやら失血の方も深刻らしいな」
「フフハハハハ! ブチャラティィ〜〜〜! もう貧血の心配など要らんぞぉお〜〜〜! もうすぐ他人から補充できるようになるのだからぬぁあああ〜〜〜〜!!」

 再びモストロが突進し、鉄扉で薙ぎ払う!
 ブチャラティがかわす!
 ディオにささやかれ、すぐさまワンチェンが鉄爪を振りかざす!
 ブチャラティがギリギリでかわす!
 反撃を受ける前にワンチェンが離れる!
 このパターンが数回繰り返される。

 もちろんブチャラティもその間ずっと何もしていないわけではない。追われながらも間隙をぬって『スティッキィ・フィンガーズ』が拳を振るい、蹴りを放ち、床にはジッパーを貼り付ける。が、敵が複数であるのみか、毒や貧血まで同時に相手にしている以上、さしもの接近戦向きスタンドも真価を発揮できない。しかも、屍生人(特にワンチェン)は深追いを避けてヒット・アンド・アウェイに徹しているため、反撃の隙が短い。
 だからこそ、ブチャラティは決着を焦りながらも、今はまだ一撃必殺を狙うより、敵を牽制しながら好機を待つ事に重点を置いている。もっとも、これでもブチャラティの体調は悪化の一途を辿っており、これ以上長引けば本当に動けなくなるだろうとも自覚しているのだが。

「フハハハハハハハハ! 惨めだなァ〜〜、ブチャラティィィ! ギャングのボスだろうが、スタンド使いだろうが、私が永遠の力を手にした途端、非力なガキに成り下がってしまうとはなぁああああ! 大きな勘違いをしていたぞ! 求むべきは『矢』などではなかったのだッ! この素晴らしいィパワーの前ではッ、スタンド能力すら霞むわァアアア―――ッ!!」

 と、すっかり「ハイ」なモストロは、更に鉄扉を振り回す。
 ブチャラティは気付いていた。モストロの左手は、小指だけが明後日の方向に曲がっている。何度目かの鉄扉攻撃がかわされた後、それを強引に止めた際に折れたのだ。疲労も苦痛も感じないとはいえ、肉体の強度には限界があるのだから当然の結果だ。
 屍生人モストロが参戦してから、実は部屋の中の状態はあまり変わっていない。モストロは鉄扉を振り回す際、いつも部屋の壁や床に当たらないようにしているのだ。この地下室全体を破壊する事を恐れての事だろう。つまり、モストロはそれだけの攻撃力を自覚し、計算しつつも、自分の肉体の損傷については意に介していないという事になる。普通の人間なら真っ先に意識する事を、だ。

「どぉお〜〜だァ〜〜ッ! どうやら少しばかり強くなりすぎてしまったなあァァァァ〜〜〜〜!」

 同様に、ブチャラティは気付いていた。この攻防が始まってから、モストロに比べると、ワンチェンは常に若干距離を置いて攻めてきている。そして、一度としてモストロをフォローしようとはしていない。コンビネーションとしてのポジション分担や武器の差もあるだろうが、要するにディオ達にとってモストロは消耗品の捨て駒に過ぎないのだ。

(モストロ……本当にこんなものが、あんたの望んだものなのか……)

 乱れた呼吸の中で更に溜め息をついて、ブチャラティはこの数分間で考えた作戦を頭の中で復習する。
 もうさっきのような大技を使う余裕はない。つまり各個撃退しかない。本来ならディオを最優先したいが、奴等の陣形を前にそれは難しいので、前衛のモストロから片付けるしかないだろう。ディオやワンチェンがわざわざ捨て駒を護る事はないだろうが、モストロへの攻撃の瞬間は奴等にとって格好のチャンスになる。だからこそ、せめてモストロはギリギリまで引き付けて一撃で確実に倒す! 動き回る敵がワンチェンだけなら、ディオのサポートがあっても、どうにか倒せるはずだ。
 唯一気がかりなのは、さっき左腕を切断された妙な飛び道具だが、あの時しか使ってこないという事は、好き放題に撃てる技でもないのだろう。発動条件か、リスクか、コストか、いずれにせよ何かある。だからこそ、さっきのような絶体絶命の状況か、確実にトドメを刺せる瞬間でなければ使ってこないはずだ。今は一旦忘れよう。

「そろそろだ……もう少し……!」
「何をゴチャゴチャ言ってるね!」
「死ねィ、若造ォ!」

 またもモストロが攻撃をしかけ、ブチャラティがそれをかわす。ここまで同じパターンの攻防を繰り返すうちに、流石にブチャラティは屍生人達の連係攻撃に慣れてきていた。

(まだ早い……次だ……)

 そしてまた、ワンチェンの鉄爪が迫る。

(ここだ! ここで仕掛ける!)

 ブチャラティは攻撃をかわしながら更に距離を取りつつ、

(走れジッパー!)

 ワンチェンの足元めがけ、床にジッパーを放つ!
 ……しかし、一瞬早くディオが耳打ちし、ワンチェンは大きく後ろに跳び、地割れを避けた。
 体勢を立て直しながらブチャラティが移動……

 ドン

「!?」

 背中に衝撃を感じてブチャラティが振り返ると、すぐ目の前にコンクリートの壁があった。逃げ回るうちに、いつの間にか部屋の隅に追い込まれていたのだ!
 ブチャラティの表情がこわばったその時、

「フハハハハァァ〜〜ッ! そこがおまえの終点だァァァァァァ〜〜〜〜〜ッッ!」

 モストロは床と垂直になるように鉄扉を持ち替えると、正面からブチャラティめがけて渾身の力を込めて突き出した!

「そう……それで良い!

 ブチャラティの眼が鋭く光る!
 すぐさま出現した『スティッキィ・フィンガーズ』は、真正面から迫る鉄扉の軌道をほんの少しだけ左側にそらす! そうして空いたスペースにブチャラティが走り込む!

「し、しまっ……」

 モストロは慌てて鉄扉の軌道を変えようとするが、これだけの重量を正面に押し出した勢いを横向きに変える事は屍生人といえども容易ではなく、その重量と慣性の前に一瞬バランスを失った。こんな隙をブチャラティが見逃すはずもなく、ジッパーが瞬時にして鉄扉を無数の鉄片に変える! そして、全力で支えていた武器の重量が突然軽くなったため、モストロは更にバランスを崩した!

 全てはブチャラティの作戦通りだった。モストロはずっとこの部屋を破壊しないように攻撃していた。となれば、そのあまりのサイズと重量ゆえに攻撃手段が限られる鉄扉だ。部屋の角に立てば「横向きに薙ぎ払う」事はできず、(鉄扉をどんな向きにするかはともかく)必ず突いてくるとわかっていた。まっすぐ突いてくるだけなら、『スティッキィ・フィンガーズ』で捌くのはたやすい。
 それに、床に走らせたジッパーを避けてワンチェンが後退するのも予想通りだった。ブチャラティは今、モストロを挟んでワンチェン(とディオ)と点対称になるように走り込んでいる。つまり今、ディオとワンチェンはブチャラティを見る事ができない! モストロは元々スタンドを見る事ができない!

「ここまでだ! 地獄に帰るがいいぜ、モストロ!!」

 『スティッキィ・フィンガーズ』が必殺の拳を大きく振りかぶる! モストロはやっと体をブチャラティに正対させるが、攻防どちらの余裕もない! そしてブチャラティがモストロを射程内に捉えた!


 ドスッ ドスッ ザク ブスッ ズバァ


「……………………なん……だって……?」

 一瞬、何が起こったのか全くわからなかった。モストロも、ブチャラティも。
 ブチャラティが顔を下に向けると、数本の細長い金属片があった。その一端は空中、逆端は自分の体に繋がり、その周囲でスーツの色が赤に変わり始めている。

 思い出そう。
 スタンドのパンチは確かに放ったが、まだモストロには達していなかったはずだ。なのに、突然モストロのボディに穴が……内側から外側に向かって穴が空き、そこから出てきた物がそのままこちらの体に……刺さった……。

「フン、これで良い。全てはこのディオの作戦通りという事だ。おまえもナイスコントロールだったぞ、ワンチェン」
「お褒めに預かり光栄でございます。ヘッヘッヘェ〜ッ」

 ドジョウヒゲを軽く整えるワンチェンの右手の指先からは、鉄爪が全て失せていた。たった今、眼前の2人を貫いていったからだ。
 ブチャラティの作戦は確かに成功していた。だが、その作戦自体が既にディオの作戦の一部だったのだ。

「まさかっ……こんな手……グホッッ!」

 言葉の後にブチャラティの口から出たのは、湿った咳と多量の血液だった。



27.亡者を憐れむ歌
〜 Sympathy for The Dead 〜


 一瞬視界が暗転したが、ブチャラティはかろうじて倒れずに踏みとどまる。この麻痺毒、「麻痺」といっても痛覚にはあまり効果がないらしい。いや、それでも傷の割には痛みがマシになっているか。

 正直、「鉄爪を飛ばしてくる」というのは読んでいた。それどころか、「実はワイヤーか何かが仕込んであって四方八方から切り刻んでくる」というような攻撃手段さえも少しは想定していた。だが、いくら「捨て駒」とはいえ、まさか仲間の体を貫いてまでこちらを攻撃してくるとまでは考えもしなかった。
 約10年も裏の世界に生きてきたとはいえ、ブチャラティの本質にあるのは優しさだ。それが予想の幅を狭めてしまったのだ。なお悪い事に、こうした理由でブチャラティがこの手段を「予想できない」事こそが、ディオの「予想通り」だったのだ。

「ゴフッ!」

 ブチャラティは再び血を吐いた。

 ワンチェンが放った鉄爪は5本。そのうち1本は誰にも当たらずにそのまま壁に突き刺さっている。別の1本はモストロを素通りしてからブチャラティの右太股を浅く長く切り裂いて飛び続け、壁に跳ね返った後で床に落ちた。残る3本はモストロの肉体を見事に貫通した後、ブチャラティの右の胸より少し下の部分、左脇腹、左肩にそれぞれ突き刺さり、そのまま残っている。特にこの3本は、刺さった後、そのまま刃の向きのままに数cmほど肉体を切り裂いてから止まったため、ダメージは深刻だ。

「うおおおお!」

 『スティッキィ・フィンガーズ』が自らの本体に連打を繰り出すと、3本の鉄爪が音を立てて床に転がった。もちろんブチャラティの傷口は既にジッパーで縫合されている。しかしこれでも激痛は消えないし、ただでさえ減っていたところを駄目押しで流れ出た血液が戻るわけではない。いや、むしろまだ死んでいない事が幸運なのか?

「フフフフハハハハハハハハハハ!」

 ブチャラティの正面に立ったままのモストロが笑い声をあげた。

「流石に今のは驚いたが、これでも何の痛みも感じぬわ! つくづく素晴らしい肉体に生まれ変わったものよッ! それに比べ、そっちは苦しそうだなァ、ブチャラティィ〜?」

 ブチャラティはまた血を吐いてから、うつむきながら言葉を発する。

「モストロよ……本当に痛みを感じていないようだな……」
「んん〜〜? ああ! 全く感じんな!」

 モストロの答えを聞き、ブチャラティはモストロをにらみつける!

「本当に……主君と崇める者からこんな仕打ちを受けてッ! 本当に何の『痛み』も感じていないのかッ!!」

 激昂するブチャラティに気おされもせず、すぐにまたモストロは笑い出した。

「フハハハハ! 何を言うかと思えばッ! まァ〜ワンチェンに腹が立つ気はするが、それもディオ様の作戦の一環なら話は別! どのみち私にとっては痛くもかゆくもないのだからなァ〜〜!」
「そうか……」

 ブチャラティはまたうつむいて、今度は静かに答えた。

「そォ〜だぁああ〜〜〜ッ! そして貴様ももう痛みすら感じなくなるのだァァァァ〜〜〜ッ!!」

 モストロは足元に散らばる鉄扉の破片から、手の届く範囲内で一番大きいと思ったものを拾い上げ、ブチャラティに殴り掛かった!

 ボトッ

「…………ア〜〜〜〜〜……?」

 モストロがブチャラティに腕を振り下ろすより前に、モストロの足元に、鉄片を掴んだままの右腕が落ちてきた。

「前言撤回だ、モストロ……」

 ブチャラティが静かに……ただ静かに、話し始めた。

「おまえに同情はしないと言ったが、やはり同情するよ。そして……『悪かった』と思っている。そんな化け物にされないように、しっかり死体を始末してやらなかった事を…………たとえ人間のうちにおまえを殺してでもそうしてやらなかった事を!」

 ブチャラティの言葉と眼に力が込められたその時、モストロの腕が切断された時からずっとその場に立っていた「それ」が再びモストロに殴り掛かった!

「アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ」

 雄叫びとともに『スティッキィ・フィンガーズ』がモストロの全身に無数の拳を叩き込む! 踊り狂うかのように全身を激しく揺らすモストロの体に縦横無尽にジッパーが走り、あっという間にその身が不揃いな格子柄に覆われていく!

「アリーヴェデルチ!(さよならだ)」

 ブチャラティの言葉と同時に、細切れになった無数の肉片が床にバラ撒かれた。
 それが大富豪カピターレ・モストロの、今度こそ本当の最期だった。


 ブチャラティはスタンドの戦闘態勢を保ったまま数秒ほど眼を閉じた後、再び視線でディオを射抜く。だが、すぐにその場に片膝を着いた。

「フン、どうやらチェックメイトだな、ブチャラティ」

 ディオは今まで以上に余裕に満ちており、そのすぐ脇ではワンチェンも大きく顔を歪めてニヤついている。もちろん、モストロの死を意に介している様子はない。

(……死ねん……!)

 ブチャラティはただただその一念で意識を保とうとしている。
 ここでこの化け物どもを始末できずに更なる犠牲者と屍生人を発生させる事は、もちろんあってはならない事だが、それ以上に避けなければならないのは、ディオにジョルノの肉体(と『矢』)を手に入れられる事だ。もしもそんな事になれば、決して比喩ではなく、人類の存亡に関わる事態になりかねない。
 ブチャラティ自身がここで殺され、屍生人と化してディオのために行動させられれば……事実上パッショーネの全てがディオに利用される事になる。そして、屍生人とはいえ「本物のブチャラティ」なのだから、ジョルノでさえも隙を見せるだろう。
 逆に、屍生人にされないようにブチャラティが自分の死体を何らかの形で処分したとしても、ディオは別の手段でジョルノを狙い続ける。もしも直接2人が出会えば――ジョルノが実の父親を目の当たりにすれば――いくらジョルノでも激しく動揺する事は確実。『矢』の絶対なる力があっても、ジョルノ自身がそれを正しく扱える精神状態でなくなれば、無敵も無敵たり得ない。
 だからこそ、何があってもここでディオを始末せねば……!

(アバッキオ……ナランチャ……もう少しだけ迎えに来るのは待ってくれ……………………!)

 ブチャラティは気力を振り絞るが、まだ立ち上がらないままだ。まだディオ達は射程距離外だが、飛び道具に備えてか、ブチャラティは自分の傍らにほぼ同じ姿勢でスタンドを待機させている。

「フン、もう諦めろ。どうだ? 最後の情け、今からでもこのディオに……」
「くどい!」
「おやおや、確かに、そろそろしつこかったな。遺憾に思うが、勧誘は断念だ」
「ディオ様、よろしいですな?」

 ワンチェンが左手だけに残っている鉄爪をゆっくり動かす。

「ああ。だが油断するなよ。最後にまだ何か狙ってくるだろう」
「わかっております。ヒヒヒ」
「おい、いいのか、ワンチェン……」
「ヌ?」

 問い掛けたのはブチャラティだった。

「ヴィッティマはともかく、いいパトロンだっただろうモストロがあのザマだぞ? この状況、次にそこの生首が捨て駒にするのは誰だろうな」
「黙るね!」

 当然のようにワンチェンが口を挟んできた。

「20年そこそこしか生きとらん小僧がッ! 100年以上ディオ様にお仕えするこのわたしを、あんな間に合わせの部下や即席の屍生人どもと一緒にするでないね! わたしこそがディオ様の最初のしもべにして、現存する最古の屍生人! カネやチンケな超能力だけで部下になった連中とは違うね!」

 そう言うワンチェンは単に「店主と客」というだけの理由でディオと出会い、瀕死のところに居合わせた「非常食」というだけの理由で屍生人になったのだが、生憎とブチャラティはそれを知らない。そして、ワンチェン自身はこの発言内容を本心から信じている。

「フッ……『自分だけは特別』か…………前に、オトコの口車に乗せられてクスリの売人をやらされてた娘に会ったが、同じような事を言ってたっけな……」
「勝手にほざくね! とっととくたばって、おまえもディオ様に尽くすがいいね!!」
「いや……ディオに尽くすのはおまえだけだ。これからもずっと…………地獄でな……」

 そろそろ虚ろになってきた眼で、ブチャラティは確かに小さな微笑を浮かべている。

「減らず口たた……」
「離れろワンチェン!」
「は……」
「急がんか!」

 ジィィィィィ

「!?」

 突然、新たなジッパーが開いた!



28.逆襲
〜 Vengeance 〜


(こ、こいつ一体何を!? どうやって『スタンドを動かさずに』『射程距離外に』ジッパーを!?)

 今回はワンチェンだけでなく、ディオもまた動揺している。

 ジッパーは何の前触れもなく、ワンチェンの足元に出現した。
 ブチャラティの近くから伸びてきたのではなく、そこに突然現われたのだ。
 ディオにどやされて慌てて逃げたワンチェンだが、左足の甲が少し裂けている。

「ディ……ディオ様、今のは……」
「足を止めるな!」
「ヒ……は、はい!

 足の傷を無視してワンチェンがジャンプすると、ほぼ同時にまたそこにジッパーが現われた。

 ブチャラティのスタンドは間合いを詰めるどころか、さっきから何のアクションも起こしていない。仮に『スティッキィ・フィンガーズ』の射程距離がディオの想定以上だったとしても、この類の能力を無動作で発動できるはずがない。大体そんな事ができるなら、とっくの昔にやっていたはずだ。
 飛び道具ではない。あらかじめ仕掛けておいて時間差で発動させたのでもない。つまり、あくまであのスタンドが直接何かをやっているとしか考えられない。

「フフ……いい呼び名が思い浮かばないが……『スティッキィ・フィンガーズ』の奥の手だぜ……」

 そしてまたジッパーが開き、ワンチェンが逃げる。ディオはブチャラティのわずかな視線や呼吸、ある種の「殺気」を敏感に読み取ってブチャラティの攻撃を察知しているが、このままでは遠からずやられる事は明白だった。どうにか攻撃の正体を見極めねば!

「よし……ワンチェン、上だ!」
「はいッ!」

 すぐさまワンチェンは垂直跳びで天井に達すると、左手の鉄爪を天井に突き刺す事で、その場に留まった。そしてディオは約4メートルの頭上からブチャラティを見下ろした。

(よく観ろ……何かがあるはずだ……)

 ブチャラティ本体とそのスタンドは、ほぼ同じ姿勢でいる。左膝を床に落としてしゃがみ込んだ姿勢。両手も見える位置にある。

(……いや、何か違う)

 ブチャラティ本体の右腕は肘を曲げた上体で、その掌は右膝の上に乗っている。曲がっている右肘は、胴体と右太股に挟まれたような状態で、外側からはほとんど見えない。そしてスタンドの右腕は、本体と同じ状態のようだが、ブチャラティ本体に重なって、はっきり見えない……。

(違うぞ! あれは……!)

 ディオは見つけた。ブチャラティ本体の左足首の陰――ちょうど本体とスタンド両方の陰――床に立っていた時は隠れて見えなかった部分の床に、小さくジッパーが口を開けている。

(……まさか!)

 ブチャラティがこれまで見せてきた能力を振り返り、ディオは自分の仮説に確信を得る!
 という事は、この状況はまずい!

「ワンチェン! 早く降りろ! 急げッ!」
「え、え……」

 慌てて降りようとするワンチェンだが、コンクリートに突き刺さった鉄爪はすぐには抜けない。

「気付くのが少し遅かったようだな」

 その瞬間、ワンチェンのほぼ真下に口を開けていたジッパーから、『スティッキィ・フィンガーズ』の「拳」が飛び出した!

「早くせんかワンチェン!!」
「ヒィ!」

 自分には見えもしない敵スタンドの攻撃よりもむしろディオに恐怖を感じたワンチェンが、左手に全力を込める。屍生人の握力の前に、天井はコンクリート片とともに、やっと鉄爪を解放した。
 一瞬で体を前後に振って勢いをつけたため、ワンチェンの落下軌道は後方に逸れ、ギリギリのところで『スティッキィ・フィンガーズ』の攻撃を回避できた。そして、着地するとすぐにまたブチャラティから距離を取った。

「チッ、流石にしぶといな……」

 ブチャラティがそう言うと、『スティッキィ・フィンガーズ』の手は攻撃の軌道を逆行し、また床の穴に消えた。

 『スティッキィ・フィンガーズ』の奥の手。それは自らの「腕」をジッパーで一時的に取り外しての攻撃だ。
 何の苦痛も出血もなく取り外された腕は、断面同士がテープ状のジッパーで繋がっている限り、マジックハンドのように自由に動かす事ができるのだ。もちろんその状態でも、触れたものにジッパーを貼り付ける能力は変わらない。
 ただ、この手段も完全無欠というわけではない。何せ、「スタンドの腕」を切り離している間、「本体の腕」も同じ状態になってしまうのだ。ただでさえ腕がなくなって隙だらけになる上、本体がそんな状態では満足に動き回る事もできない。だからこそ、激しく動き回る敵が複数体いる状態では使えなかった、というわけだ。
 今回の場合、うまくディオから死角になるようにした部分から右腕を取り外し、本体の腕だけを敢えて見える位置に出し、スタンドの右腕は足元に小さく空けたジッパー穴から床下に降ろし、そのまま地下からワンチェンを攻撃していたというわけだ。

 ディオはワンチェンに、ブチャラティの攻撃のトリックを簡潔に説明した。

(しかし、まずい……)

 ワンチェンにはスタンドが見えない。ブチャラティがスタンドの腕を伸ばせる以上、本体との間合いを基準に対処する事ができないという事だ。おまけに「スタンドはスタンドでしか倒せない」から、飛んでくるスタンドの拳を打ち落とす事もできない。

「はっ!?」

 背後からまた『スティッキィ・フィンガーズ』の拳が飛んできた。ディオはあわやのところで気付き、その指示を受けたワンチェンはギリギリで回避に成功した。

「『鬼ごっこ』……いや、『逆モグラ叩き』ってトコか? せいぜい逃げ回るがいいぜ」
「ウヒィィィィィ!」

 既にある穴から、あるいは新しく開いたジッパーから、『スティッキィ・フィンガーズ』の右腕が連続攻撃を繰り出す。ワンチェンは完全に防戦一方となった。
 通常攻撃に比べてスピードもコントロールも落ちるが、本体ごと動き回っているわけではないのでブチャラティの消耗は随分マシになっている。逆に、疲れを知らぬはずのワンチェンの方が、常に危機一髪であるというプレッシャーから、精神的に疲弊しているようですらある。
 ついでに言えば、ワンチェンの顔の古傷は、屍生人になったばかりの頃にジョナサン・ジョースターの「肘関節を外して腕を一瞬伸ばすパンチ」で負ったものだ。もちろんブチャラティはそんな事は全く知らないが、心身両方に負った癒える事のない屈辱の傷跡を刺激されるこの状況は、結果的にワンチェンのプレッシャーと苛立ちを増幅していた。

「調子に乗るでないねッ!」

 業を煮やしたワンチェンが左の鉄爪のうち2本を飛ばした!
 ……しかし、ブチャラティ本体の側には『スティッキィ・フィンガーズ』がそのまま控えている。残った左腕の一閃で鉄爪を弾き返す程度は容易だった。跳ね返った鉄爪のうち1本は、壁の電話機を破壊してから床に落ちた。もう1本はワンチェンに向かって飛んでいったが、腐っても屍生人、その程度はあっさりかわした。

「く……今度こそ……」
「やめろ。武器を無駄にするな。いいか、おまえが正面から攻撃しただけでは奴には通じん。隙を狙ってこのディオが『体液放射』で仕留める。あと1〜2発しか撃てそうもない。チャンスが来るまでは何としても逃げ切れ!」
「は、はい、ディオ様……」

 とは言え、その「何としても逃げ切る」のが一番難しいのだ。もうブチャラティはかなり毒が回ったはずだというのに、この状況でなお「長引けば不利」と感じているのが自分であるという事実は、ワンチェンにとって(実際はディオにとってもだが)本当に腹立たしかった。
 主人が「隙を狙って仕留める」と言ってくれている以上、せめてその隙を自分で作れれば……。

「どうだ……部下や仲間のありがたみが少しはわかったか? モストロやヴィッティマがいなければ、もっと早くこうなっていたんだぜ……」
「…………このガキ……!」
「ワンチェン、右だ!」

 青白くなった顔にそれでも余裕の薄笑いを浮かべる怨敵の言葉にますます憤り、感情のままに何か言葉を発しようとするワンチェンだが、間髪を入れずに繰り出される攻撃にそれすらも許されない。
 これ以上あの「人間風情」に得意面をさせておいてなるものか。何とか奴に隙を……!

(忌々しい小僧ね……何が『部下や仲間のありがたみ』よ! あんな……)

「ン?」

 何かがワンチェンの頭に引っ掛かった。

「そう……そうね……! ヒヒッ! その通りね!」

 怒りに歪んでいた老屍生人の顔が、今度は「笑み」によって、ますます醜悪に歪んだ。

「どうした?」
「ディオ様、『発射準備』を! 今、わたくしが奴に隙を作ってご覧に入れます!」

 ブチャラティの耳に届かない程度に、しかし強くそう言い切ると、ワンチェンは今までと違い、明らかな目的を持って走る!

「お……おい! 待て! 焦るな!」
「しばしッ! しばしお待ちをッ!」

 絶対であるはずの命令を無視してまでワンチェンが向かう先にあるものは、

(デェヘヘヘ! おまえの言う通りよ! 本当に『仲間』、ありがたいね!)

 そこにあるものは……女屍生人ヴィッティマ・プレーダの躯だった。

(何キロね? 40? 50? わたしのパワーが加われば? おまえのスタンド、どこまで耐えられるね? 真正面! これだけデカい物! うまく行けばテキトーに血や肉片も飛び散るね! 前、見てられるか? それに、おまえ、こんな『罪もない犠牲者』、扉やテーブルみたいにバラバラにできるかね!?)

 ワンチェンが鉄爪の代わりに選んだ「飛び道具」、それはヴィッティマの死体だった。屍生人の超怪力! 小柄な女の体など、サッカーボール感覚で蹴飛ばせる。

「ディオ様! 準備を!」

 「シュート」のために足運びのタイミングを合わせつつ、ワンチェンがヴィッティマの元に走り込む! そして、後ろに大きく右脚を振り上げる!

「やめろワンチェン! 女から離れろ!!
「……!?」

 ガバァッ

 突然、ヴィッティマの腹に漆黒の穴が出現した!

「ヒ……」

 見えない攻撃を必死にガードしようとするワンチェンだが、意味がない!

 バギャァァ

 結局、ヴィッティマから飛び出してきた『スティッキィ・フィンガーズ』の右拳は、ガードに入ってきたワンチェンの左腕を前腕の半ばから切断し、そのままワンチェンの首筋に炸裂した。

「何やったってしくじるもんなのさ、ゲス野郎はな……」



29.ディオ最後の手段
〜 Unforgiven 〜


 ワンチェンは血を噴き上げながら大きく後ろに吹き飛び、壁に激突してから床に落ちた。

 スタンド『スティッキィ・フィンガーズ』の右腕はまたすぐに床下に戻っていった。同時に、ヴィッティマの死体に開いたジッパーは閉じ、跡形もなく消えた。そして今度はヴィッティマの下にジッパーが開き、ヴィッティマを呑み込んだ。

(利用してすまなかったな、ヴィッティマ。だが、これで君の仇も取ってやれる。しばらく床下にいてくれ。もう誰にも傷付けられないように…………)


 ワンチェンは壁にもたれかかって座ったような状態になっている。ブチャラティの攻撃を受けた首は、まだ辛うじて胴と頭を繋いでいるが、ジッパーによって9割方切断され、まさしく「首の皮一枚」状態だ。頭は首ではなく肩に支えられた状態で横倒しになっている。
 一応ピクピクと痙攣しているので完全に死んではいないようだが、首の傷のせいか、壁に激突した時に頭を打ったせいか、意識は朦朧としているようだ。いくら屍生人でも、首がこの状態では体を動かす事はできないだろう。事実上もう「再起不能」と言えそうだ。

(残るは……)

 ブチャラティは視線を最後に残った巨悪に向ける。

「さて……どうやらチェックメイトだな、ディオ」
「フン……どうかな……」

 攻撃を受ける瞬間あっさりワンチェンの肩から床に避難したディオは、ノーダメージで済んだ。とはいえ、「脚代わり」を失った事には違いなく、ディオがかなり不利になった事に変わりはない。

 敵がディオだけになった事で、ブチャラティは戦法を変えた。スタンドの腕を元に戻し、床に創ったジッパーのいくらかを「解除」した。敵が生首だけである以上、床下に腕を伸ばしての攻撃では命中率に不安があるし、増やしすぎたジッパー地割れは「落とし穴」や「死角」として危険を招き得る。逆転したようでも、ほんのわずかな失策が死に直結するという状況は変わっていないのだ。

 ここでブチャラティはまた血を吐いた。ようやくと優位に立てたが、どちらにせよ、ブチャラティに残された時間は短いようだ。

「わからんな、ブチャラティ。何故だ? 何故そこまでできる? 毒も出血もそろそろ限界、満足に立ち上がる事もできないその有り様で、何故まだ闘える? 大事な仲間のためか? 殺された部下のためか? それとも正義などというくだらん信念のためか?」

 もうディオに今までほどの余裕はない。この台詞も挑発よりも時間稼ぎのためだ。

「正義……そんな御大層なものじゃあないさ……」

 言いながら、ブチャラティはゆっくり必死に立ち上がろうとしていた。

「俺はただ、貴様のような奴を俺の町で生かしておく気になれないだけだ……」
「フン、何故そう思う?」
「さぁな……とりあえず、ひとつだけ正義漢ぶって言わせてもらうなら……テメー自身のためだけに我が子を殺そうとするようなゲス野郎に、この世で生き続ける資格はないって事だぜ!」

 ブチャラティの脳裏に、優しかった父親の姿が浮かぶ。元々は妻子を護るために生き、妻に捨てられてからは独りで我が子を護るために生き、理不尽な災いでこの世を去った最愛の父親――ブチャラティの永遠の英雄が。

「ほう……たかだかそれだけの事が、瀕死の貴様をそこまで奮い立たせているわけか。フン、理解に苦しむぞ。流石は人間の思考といったところか」
「ああ、わからんだろうな。人の命を吸い取り、人を肉人形に造り替える化け物に、親子の情の尊さなど理解できはしないだろうぜ!」
「……親子の……情…………?」

 ディオの顔から、ふと表情が消えた。


“バッキャロ――ッ!! ディオ! てめ〜ッ薬を買う金なんか、ど―――やってつくったァ〜〜〜ッ!!”
“だったらその金で酒を買ってこいってんだよォ――――ッ! マヌケがァ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!”
“酒こそ薬さ! こいつをたたき売って酒買ってこいィーッ。今すぐだァー!!”
“死んじまった女のものなんか用はねェぜッ!”


 ……………………

「……………………かま……いぞ…………」
「何?」
「『やかましい』と言っているのだ!!」
「!?」

 突然ディオの様子が変わった。

「黙って聞いていればッッ!! たかが成り上がり者のチンピラ風情が、このディオに対して何を得意になってほざいている!! くたばり損ないが! ちょいと屍生人どもを2〜3匹ばかり片付けた程度の事で『オレ』に勝ったつもりかッ!! いい気になるなよ!!」

 眼を血走らせ、牙が剥き出しになるほど口を歪めた、初めて見る激怒のディオだった。今までと違ってストレート過ぎる強烈な殺気に、修羅場慣れしているブチャラティすら完全に呑まれた。
 だが、それも一瞬だった。ブチャラティがこの地下室に来た時から何度となくディオに圧倒されてきたのは、ディオのかもし出す得体の知れない異様な雰囲気があってこそだ。

「何がそんなに腹立たしいのかはわからんが、ただキレて吠えるだけならそこらの酔っ払いやガキでもできる事! 今更怖れるものではない!」

 平常心を取り戻したブチャラティだったが、ディオはこのわずかな隙に次の手を打っていた。既にディオの髪がブチャラティとは違う方向に伸びており、奇跡的にもいまだに原形を保っていた最後の椅子を掴むと、勢いよくブチャラティに叩き付ける!

「URRYYY!!」
「なめるなァ!」

 すぐに出現した『スティッキィ・フィンガーズ』があっさり椅子を殴り砕く!
 ……が、

 ドッバアァァァァ

 砕けた椅子の裏から無数の触手が飛び出した! 『肉の芽』だ!

「チッ!」

 『スティッキィ・フィンガーズ』はそのまま突きを連打し、『肉の芽』を細切れの「肉片」へと変えていった。
 どうにか最後の1本の先端を切断した後、すぐにその残った側を掴んでディオを引き寄せようとしたが、流石にディオも同じ手は食わない。引っ張った触手は何の抵抗もなく、あっさりディオの毛先から抜けた。
 ブチャラティはスタンドで掴んでいた触手を床に放り出し、元の方向に眼を戻した。そこではディオが怒りの形相のままブチャラティをにらんでいる。射抜くような強烈な視線。今にもその眼から何かが飛び出しそうてきそうだ。

(……ん?)

 ディオの眼、何か妙だ。だんだん瞳の色合いが変わっていく。中で何かが動いているように。だんだん瞳が盛り上がってきている。中から何かが突き上げているように…………?

 既視感!

 ブチャラティは「何か」の内容が全くわからないまま、立て直しかけていた体勢が更に大きく崩れるのも構わず、本能的に本体とスタンド両方の全身でガード体勢を取った。

 シュゴァァァ

 同時に、ディオの両目の瞳孔から超圧力によって体液が噴出した。人体をたやすく貫通する威力を持つ『空烈眼刺驚(スペースリパー・スティンギーアイズ)』は、今度こそ2発とも正常に、確実に敵の急所めがけて発射された!
 ……だが、それも所詮は純物理的な攻撃だ。なまじ狙いが的確だったが故に、近距離パワー型スタンドの両拳に阻まれ、標的の身には届かなかった……。

「あ……危なかった……! さっき腕を斬られた技か? レーザー光線……じゃあないな。熱や光は感じなかった。何か実体のある物……液体? 何かの体液による『水鉄砲』か! つくづく何でも有りだな、化け物が……」

 床に転がったままのブチャラティがつぶやいた。

「だが、そういう技なら何度も使えるわけはないよな。手駒は全て失い、『肉の芽』も奥の手も効かなかった……今度こそ年貢の納め時だな、ディオ!」

 改めて体勢を立て直しつつブチャラティが言う。
 だがディオの様子は変わらない。逆上しているのも変わらないようだが、追い詰められて弱気になったり慌てたりしている様子もない。

「ブチャラティ……オレは生きる! 何が何でも生きる!!

 言い切った後、ディオは後ろを向きながら跳び跳ねていった。

「逃げる気か!?」
「フン! 違うな!」

 本人の言う通り、ディオが向いているのは出入口がある方ではなく壁の方、首のちぎれかけたワンチェンがさっきから寄り掛かっている方だ。

「待っていろよ、ブチャラティ! 体さえ……別の体さえあれば! 貴様ごとき!!」
「!!」

(そしてブチャラティ! 貴様の最大の誤算は、このディオが肉体とともにスタンド能力を失ったと『思い込んでいる』事だ!)



30.ワンチェン最後の決断
〜 The Body 〜


(オレはワンチェンの肉体を手に入れ、一時的に我が身としてブチャラティを倒す!)

 それはディオにとって「奥の手」ですらない、完全な「非常手段」だった。

  以前、ジョナサンの肉体がディオに「馴染む」までにはかなりの時間と「食糧」が必要だった。だからこそ、今のディオにとって最も「馴染む」であろう「ジョナサンの肉体だった頃に設けた子供」の肉体を必死に求めていたのだ。
 では、ジョルノの前に「仮の肉体」として他の誰かの肉体を一時的に乗っ取らなかったのは何故か? それは、一旦でも他人の肉体と接合する事により、その肉体の影響が何らかの形でディオに残る事を怖れたからだ。そうなっては、下手をすればジョルノの肉体すら適合しなくなる危険がある。まさにディオにとっては最悪のケースだ。
 まして、元の年齢や人種すらも異なり、共通点と言えば性別ぐらいしかないワンチェンとディオだ。はっきり言って、「適合者」とはほぼ対極にある。しかも、100年以上前に死んで、ずっと屍生人として存在してきた男だ。本当に肉体が接合するかどうかも怪しい。

  しかし、もはやそんな事を言っている余裕はない。後への悪影響も何も、全てはこの場を生き延びてこその話だ。それに、ジョナサンにせよジョルノにせよ、体を乗っ取る時点では首を切断した「死体」なのだ。屍生人でもどうにかなるはずだ。いや……なる!
 そして、一時的にでも肉体を得れば、最強のスタンド『ザ・ワールド(世界)』が復活するはずだ。元々スタンド能力が消え失せているわけではない。今でもなお、『ザ・ワールド』と「時の歯車」はガッチリ噛み合ったままなのだ。ただ、現時点では「歯車」を止められるだけのスタンドパワーがないだけだ。だからこそ、肉体さえあれば、再び時を止める事ができるかもしれない。

(いや、できる! モストロはバラバラ、ヴィッティマは床下。残ったのはこいつだけ! ほんのわずかの間だけ体を動かせれば良い! その時間でブチャラティを片付け、すぐにまた自らの手で首を落とす!)

 それがディオの最後の希望だった。

「そうはさせねえ!」

 ディオの目的に気付いた今、ブチャラティも黙ってはいない。既に動くのも難しい体で、大慌てで体勢を立て直してスタンドを出し……

 パバァァッ

 ビン ビビン ブスッ ビュン ブツン ズブ

「!?」

 いきなり脚に痛みを感じ、ブチャラティはすぐさま足元を見た。
 視界に入ったのは無数の触手――さっき切断したはずの『肉の芽』だった。足元に転がっていた『肉の芽』の数本がまた動き出し、ブチャラティの脚に刺さっているのだ。
 刺さっただけではない。動いている。植物が地面に根を張っていくように、触手がブチャラティの脚を侵食しているのだ。

「フン! 甘かったな、ブチャラティ! 仮にもこのディオの細胞から生まれた『肉の芽』がそう簡単に駆除できると思ったか!? 普通より少しばかり狂暴にしておいたぞ!」
「くっ……こんな物……」

 ブチャラティは脚にジッパーを貼り付けて触手の摘出を試みる……が、駄目だ! 数が多すぎる上、触手が枝別れしているため、全触手を一度には外に出せない。繰り返すには時間がかかる。引き抜こうにも、根を張った植物を無理に引き抜けばその部分の土はどうなるか……ただでさえ出血多量のブチャラティには覚悟を要する。

(やむを得ん……『肉の芽』は後回しにしてディオにとどめを……)
「おっと! 優先順位を間違えるなよ! 『肉の芽』はスタンドの遠隔操作とは違う。単に『習性』と『反応』で動いているだけだ! そいつらの目的は『近くにいる人間の脳に寄生する事』のみ! たとえオレが死んでも動きは止まらん! 脳を支配されたくなければそいつに集中する事だなァ!」

 おそらくハッタリではないだろう。かと言ってこのままでは……。
 ブチャラティが解決策を全く見つけられずに触手に振り回されている間に、ディオはワンチェンの近くに到着した。そしてワンチェンの首に血管触手を巻き付けると、そのまま切断にかかった。ジッパーによる裂け目とは異なる部分で切断しようとしているのは、頚椎の継ぎ目に合わせているからだ。

「ワンチェン! 聞こえるか!」

 倒れたままの屍生人に話し掛けたのは、ディオではなくブチャラティだった。

「ディオはおまえの肉体を乗っ取ろうとしている! そんな姿になるまで自分のために闘ったおまえを助けようともせずにだ! わかるか!? 奴にとって、結局おまえもモストロやヴィッティマと同じなんだ! そんな奴に体まで渡していいのか!? 最後ぐらい、おまえ自身の意志で動くんだ! そんな奴の思い通りになるんじゃあない!!」

 ブチャラティの悪あがきであり、ある種の本音でもある叫びだった。そして、その声はワンチェンの耳にも届いた。

「ディオ……さま……」

 ワンチェンの瞳がゆっくりディオに向けられる。


(……ディオ様……………………戦争で破壊された祖国を離れ……かつての敵国に渡り…………のし上がる事もできず……貧民街で小悪党を相手に小金を稼ぐしかできないまま、醜く老いさらばえていくだけだったわたしに……永遠の命と力を授けて下さったディオ様…………)

「ワンチェン! このまま乗っ取られて終わりか!? もうわかったろう!? そいつにとって部下など所詮消耗品なんだ!」

(…………ディオ様…………ホワイトチャペル街で『切り裂きジャック』を仲間にした時も……ウィンドナイツ・ロットで中世の騎士どもの死体を蘇らせた時も……ジョナサンに敗れた時も……あの船の時も……海底から復活した時も……カイロの時も……イタリアに来てからも……ずっとわたくしは貴方様に忠誠を尽くしてまいりました…………そのわたくしを…………)

 ワンチェンの虚ろな視線がディオから床に移る。その後、ワンチェンの首の皮膚を突き破り、ワンチェン自身の血管触手が現われた。ゆっくりと血管触手が床に伸びていく。そこにはブチャラティが弾き飛ばした鉄爪の1本があった。

(そのわたくしを…………)

 ワンチェンの血管が鉄爪に絡み、ゆっくりと持ち上げた。

「そうだワンチェン! 自分自身を取り戻すんだ!」

 ブチャラティは『肉の芽』と格闘しながら必死に叫んでいる。

(そのわたくしを…………)

 鉄爪がディオに近付いていく。

「き、貴様! 何をする気だワンチェン!?」

 まだワンチェンの首を切断できていないディオは、自らの血管触手をワンチェンの首から外し、防御と逃走に備えて配置した。

(そのわたくしを…………)

『ワンチェン!!』

 ディオとブチャラティが同時に叫んだ。そして!

(わたくしを……………………選んで下さったのですね……!)

 次の瞬間、鉄爪は勢いよくその刃をワンチェン自身の首――ちょうどディオが切断しようとしていた箇所に押し当てた!

『な……!』

 またもやディオとブチャラティの声が重なった。

(お受け取り下さい!)

 ワンチェンが血管でそのまま一気に鉄爪を引き寄せると、刃の当たっている箇所から血が噴き出し、間もなくこの部屋に2つめの生首が転がった……。

「…………バカ野郎……!」

 ブチャラティが無念を込めて呟く。

「……フ……クックック……ハハハハハ! よくやったぞ、ワンチェン! それでこそ、このディオの最古のしもべよ!」

 高笑いを上げるディオは再び血管触手をワンチェンの肉体に巻き付けると、そのまま引き寄せて自分自身を持ち上げた。

「そして、ようこそ! 我がかりそめの肉体よ!」

 ディオがワンチェンの上に落下し、両者の首の断面同士が合わさったその時、「ディオ」の傍らにおぼろげな人型――「見える」者にとっては一目でそれとわかる、スタンドの「像(ヴィジョン)」が出現した……。



31.間に合え!
〜 Countdown 〜


「フン、自分のスタンドにこう言うのもおかしな話だが……やっと逢えたな! 我が『ザ・ワールド』よ!」

 本体の現状を反映してか、そのスタンドの左腕には肘から下が存在せず、首から下は不鮮明な立体シルエットになっている。おまけに、頭部も含めた全身が、点滅するようにぼやけている。このスタンドは明らかにまだ不完全な状態だ。つまり、本体であるディオもまた、首とボディの接合が不完全という事だ。ディオは心当たりが多くて直接の原因を特定できないが、やはりジョナサンの時より乗っ取りが困難のようだ。

(間に合え……! もう少し……もう少しで動ける……オレも、スタンドも……! そうすれば、奴1人程度どうにか始末できる……!)

 ディオは必死に「首から下の体を動かす感覚」を思い出そうとする。一時凌ぎとはいえ、今この時は「自分の肉体」なのだ。意のままに動かせて当然なのだ。「当然であるという認識」、それが必要だ。肉体にも、スタンドにも。

(思い出せ、承太郎に敗れる前……いや、ジョナサンに敗れるよりも前、『石仮面』で得た力が全身にみなぎっていたあの頃の感覚を……!)

 ピクッ

(よし!)

 右手の小指1本ではあるが、確かに動かす事ができた。これでいい。小指は動いた。他の指はどう動かした? 肘はどう曲げた? 肩はどう回した? 少しずつ、などと言っていられる時間はない!

 ブチャラティはまだ『肉の芽』に翻弄されている。それに、いくら細い触手とはいえ、あれだけの本数分の合計なら、両脚へのダメージも馬鹿にはならない。おそらくもう走る事もできまい。そして、内出血も含めれば出血量も……。

(奴は今『下り坂』にいる! そしてオレは『上り坂』に入った! このまま奴は地獄まで堕ち続け、このディオは『天国』まで上り詰めるというわけだ――――ッ!)

 勝ち誇るディオ。その「昂ぶり」もまた、肉体とスタンドに更なる力を注ぎ込む!
 ……しかし、

「うおおおおおおおおお!」

 ずっと『肉の芽』への対処に追われていたブチャラティが咆えた! 同時に『スティッキィ・フィンガーズ』がその場で拳を連打する!

 ガパァァッ

「!?」

 繰り出されたスタンドの拳はほとんどが『肉の芽』を素通りし、ブチャラティ本体の胴に決まった。自らのスタンドの拳を受けた胴体はジッパーで真っ二つとなり、その上半身だけが飛び上がった!
 腕を伸ばしたのと同じ原理だ。胴体の断面同士はジッパーで繋がっており、下半身をその場に置き去りにしたまま、上半身だけが飛び出したのだ。下半身が『肉の芽』に襲われていても、上半身は既にそこにはないのだから、脳を侵食される心配はない。文字通り「捨て身」の手段だ!

「間に合えよ……! 奴のスタンドが復活する前に、何としても始末する!」

 重量バランスのせいでディオに向かって直進できないため、ブチャラティ上半身は山なりの軌道で進んでいる。下半身から前方斜め上に飛び上がった後、そろそろ部屋の中央を越えようという頃だ。

「ヌヌウゥゥッ! ブチャラティ! 最後の最後まで悪あがきをする男よ!」

 ディオの視界の中、だんだんとブチャラティの姿は大きくなってくる。その身を半ば隠すように、上半身だけとなってもなお強大な力を感じさせるスタンドが浮かび、ゆっくりと攻撃の構えを整える。さっきのモストロの例からして、こちらが何の抵抗もできないままでは、数秒としないうちに輪切りか細切れにされるだろう。
 間に合わない! もう奴の間合いに入ってしまう!

「KWAHHHH! ええい、動け! 動くのだ、肉体よ! 元がワンチェンだというのならこのディオに服従するはず! 我が意志に従わぬかッ!!」

 ディオの精神にそれまで以上の力が込められるのと同時に、右手がはっきりと拳を固めた!

「よし!」

 途端にディオの「感覚」が変わり始めた。首から下にも確実に「肉体」を感じる。同時に、ディオの隣で『ザ・ワールド』が光を発し、そのデザインを明瞭に表し始めた。

「フン、惜しかったな! ほんのちょいとばかり間に合わなかったぞ、ブチャラティ!」

 ディオが右拳を持ち上げ、壁にもたれていた上体を起こした。それと同時に、スタンドが一際強い光を放ち、その姿をあらわにした。
 頭部の両目と口元以外はマスクに包まれている。無機的でやや硬質らしい体表は、自然界の生物のそれとは明らかに異なるが、それでいて機械等の質感ともまた異なる。ブチャラティの『スティッキィ・フィンガーズ』以上に逞しい体躯は、発する威圧感のため、実際以上の大きさに感じられる。
 やはり左腕は肘の辺りまでしか存在せず、まだ頭部以外がやや薄らいでいるが、それでも溢れ出る存在感は圧倒的だ。これこそがディオのスタンド『ザ・ワールド』!
 ディオに接近していたブチャラティに強烈なプレッシャーが襲い掛かる。

「確かに凄まじい……どうやら奴も近距離パワー型か? だが、本体があのザマでスタンドが本調子であるはずがない! 今ならまだ間に合う! このまま突っ込む!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄! さんざん手を焼かせてくれたが、そのジッパーも我が『ザ・ワールド』の前には全くの無力よ! 教えてやる! 『ザ・ワールド』の真の能力、それはまさに世界を支配する能力だという事を! もっとも、貴様の脳がそれを理解する前に、貴様はあの世にいるかもしれんがな!」

 自信に満ち溢れたディオとスタンドは、揃って両腕を左右に広げ、そして叫んだ!

「『ザ・ワールド』!!」



 ……………………

 ディオに向かって落下中のブチャラティは……「落下中」のままだ。
 落下運動が打ち切られたのではない。誰も、どんな力も物体も、ブチャラティを支えたり持ち上げたりしているわけではない。ディオがこのまま何もしなければ、ブチャラティは数秒後には床に落ちるだろう。
 ただ問題なのは、その着地までの残り時間「数秒」のカウントダウンが再開されるまでに、また別の「数秒」が存在するという点だ。ブチャラティにもワンチェンにも体感できない数秒――ディオが支配する「時間の止まった時間」――が過ぎるまで、「落下中」のブチャラティが「落下」を再開する事は決してないのだ。

「…………止まった……………………止まったぞ! 今、再び! オレは時を支配したのだッ!!」

 なんと晴れやかな気分である事か。まさしく「最高に『ハイ』」な心境だ。一時的とはいえ、自分本来の能力を取り戻した喜びがディオの心を満たした。
 とはいえ、このまま感動に浸っている時間はない。時間停止能力には「制限時間」がある。最高記録でも9秒が限度だったが、今では3秒少々で限界のようだ。それに、一旦止めた時間が再び動き出してしまった後、能力を再発動できるようになるまで数秒程度かかる。その間、他の能力にまで影響が出るというわけではないのだが、現状でのスタンド格闘ではディオの方が不利だ。

「急ぐとするか……あと3秒

 見ると、ディオに向かってスタンド攻撃を繰り出そうとしていたはずのブチャラティは、何故かいつの間にか防御体勢になっている。スタンドは本体のすぐ目の前にほとんど密着状態で浮いており、その左腕で心臓部を含めた胸元、右腕で首や頭部を護っている。つまり、即死ものの急所だけはしっかりガードしているという事だ。

「ほう……未知の攻撃を察知してとっさにガードを選んだか。それともポルナレフからこのディオの能力を聞いていたのかな?」

 ベストの状態なら、パワーからすれば破格とも言える10メートルの射程距離を誇る『ザ・ワールド』だが、今は本体からせいぜい1歩分が限度のようだ。格闘以外に直接的な攻撃手段を持たない『ザ・ワールド』から見て、ブチャラティはまだ射程外だ。おまけに、「止まった時間」に馴染めていない本体は、時間が動いていた間より更に動きが悪い。移動するどころか、立ち上がる事もできそうにない。
 スタンドの手は届かない。『空烈眼刺驚』ではスタンドのガードを破る事はできない。ろくに移動もできない。つまり、ディオからすれば、時が止まっている間に一撃必殺を狙うのは困難という事だ。

「フン、勘と運、どちらかわからんが、よほど良いらしいな。あと2秒! だがッ!」

 『ザ・ワールド』がディオの側に転がっていた鉄爪(ワンチェンが自らの首を落とすのに使ったもの)を拾い上げた。そして、

「無駄無駄無駄ァッ!!」

 すぐにその怪力で鉄爪を投げつけた。
 鉄爪はブーメランのように回転しながら、しかし一直線に飛ぶと、数メートルも進まないうちに何かに当たるでもなく動きを止めた。ブチャラティが「落下中」のまま止まっているのと同じように、鉄爪もまた「止まった時間」に呑まれたのだ。もちろん、その運動エネルギーは保たれたままだから、時とともにこの刃は再び動き始める。
 そして鉄爪の止まった位置は、ブチャラティ本体の右腕の直前だった。反射的に本体とスタンドで同じ動作をしようとしたのだろうが、スタンドの速さに置き去りにされた本体の一部は間に合わず、結果的にスタンドの陰から出た状態のまま止まってしまったのだ。

「おまえほどの精神力! 腕の2や3本失った程度なら平気で向かってくるだろう。だがッ! 時が止まっている間の出来事を認識できないおまえが、時が動き出すと同時に利き腕を切断されて、なおも動じずにいられるか!? 悪運が強い男とばかり思っていたが、逆かもしれんな。なまじ中途半端に防御などしたせいで、楽に死ねなくなったのだからなァ! あと1秒ッ!

 ディオは勝利を確信しつつも、油断なくスタンドを本体の前で構えさせていた。これからの「最後の一手」を確実に決めるために……。

「どうにか『間に合った』な……時間切れだ。時は動き出す


 ズパァッ

「!! ……!?」

 ブチャラティの右腕が宙を舞った。時間とともに再び動きを取り戻した鉄爪によって、ほとんど肩に近い位置から切断された腕は、噴き出す血の勢いに押されるようにして胴体から離れ、落ちていった。
 ショック死しても不思議ではない状況で、それでもブチャラティの意識ははっきり残っていたが、流石に一瞬ディオから注意を逸らしてしまった。時が動き出した事により、ブチャラティ自身も再びディオに向かって進んでいる状況下で……。

「フン、射程内だ……死ねィ、ブチャラティ!!」

 ディオの声とともに、『ザ・ワールド』が「最後の一手」である右拳を放つ!

「……っ!!」

 ブチャラティはディオの攻撃に気付くと、ダメージと驚きでガード体勢を崩しかけていたスタンドの左腕を慌てて戻し、『ザ・ワールド』のパンチを防ぎにかかる!
 だが……

「貧弱貧弱貧弱ゥ!!」

 『ザ・ワールド』の鉄拳は『スティッキィ・フィンガーズ』の腕を弾き……

 ドボァァァ

 そのまま、スタンドごとブチャラティの胸を串刺しにした。
 新たに飛び散った血の一滴が、勝利の笑みに歪むディオの口元に落ちた。



32.最期の瞬間
〜 Rest In Peace 〜


「確かに凄まじい……どうやら奴も近距離パワー型か? だが、本体があのザマでスタンドが本調子であるはずがない! 今ならまだ間に合う! このまま突っ込む!」

 既に満身創痍のブチャラティは、もう退く事はできない。『ザ・ワールド』の強烈な威圧感に負けじと精神力とスタンドパワーを振り絞り、スタンドの拳に集中させる!

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄! さんざん手を焼かせてくれたが、そのジッパーも我が『ザ・ワールド』の前には全くの無力よ! 教えてやる! 『ザ・ワールド』の真の能力、それはまさに世界を支配する能力だという事を! もっとも、貴様の脳がそれを理解する前に、貴様はあの世にいるかもしれんがな!」

 ――違和感だ。

(あのスタンド、こっちに向かってくる気配がない……?)

 ブチャラティの経験則からすれば、戦闘向きで、しかも近距離パワー型のスタンドとなれば、相手や能力の媒介となるものへの攻撃や接触で発動する能力が多い。そもそも「近距離型」なのだから、相手に接近しなくては話にならないはずだ。

(カウンター狙いで待ち受けている様子もないし、飛び道具を持っているようにも見えない! 広範囲に及ぶ能力か? この感じ……何か……何かやばい!)

 この瞬間、ブチャラティの本能は攻撃よりも防御を選んだ。大急ぎでディオを攻撃する必要があるブチャラティだが、それでも一旦ここで守備に回らなければ取り返しがつかなくなる。彼の危機感が全力でそう叫んでいた。
 行動の変更が即断なら、そのための行動もまた即座に決定される。致命傷になり得る箇所をとにかくスタンドで護って……

「『ザ・ワールド』!!」

 ズパァッ

「!! ……!?」

 ブチャラティの身を絶大で不快な違和感が襲った。喩えるなら「灼けるような悪寒」というところだろうか。とにかく異常事態なのが最初にわかった。それに、自分の体が、何か大きくバランスを崩した気がする。

(な……に……? 今、何が起きたんだ……?)

 さっきもこれと似た苦痛を左腕に味わった事を思い出しつつ、違和感の先に目を向けると、右腕が血を撒き散らしながら自分から遠ざかっていくところだった。

(俺の腕……斬られたのか……? 今、何をされたんだ? そうだ、この感じ、以前にも…………)

「フン、射程内だ……死ねィ、ブチャラティ!!」

 ディオの声とともに、『ザ・ワールド』が「最後の一手」である右拳を放つ!

「……っ!!」

 ブチャラティはディオの攻撃に気付くと、ダメージと驚きでガード体勢を崩しかけていたスタンドの左腕を慌てて戻し、『ザ・ワールド』のパンチを防ぎにかかる!
 だが……

「貧弱貧弱貧弱ゥ!!」

 『ザ・ワールド』の鉄拳は『スティッキィ・フィンガーズ』の腕を弾き……

 ドボァァァ

 そのまま、スタンドごとブチャラティの胸を串刺しにした。
 新たに飛び散った血の一滴が、勝利の笑みに歪むディオの口元に落ちた。


「フン! 最後にガードしようとしたのは大したものだが、パワーも! スピードも! 『ザ・ワールド』には及ばなかったようだな」

 そう言うと、ディオは口元に落ちた血を舌で舐め取った。

「…………」

 胴を貫かれたままのブチャラティの耳には、ディオの声もほとんど届いていなかった。

(そうだ……この感覚……思い出した…………)

 ブチャラティの脳裏に、かつて「ボス」と呼んだ男との闘いが浮かんだ。『キング・クリムゾン』――「時を消し飛ばす」という能力を持ったスタンドとの闘いが。今回と同じように胸を貫かれて「最初の死」を味わった闘いが……。

(『時』……奴も『時を操る』スタンド使い…………『消し飛んだ』って感じじゃあなかったな……時を……『止めた』のか? そうか……ポルナレフさんは過去にこいつと闘っていたから、ディアボロの能力を一発で理解できた……………………)

 そこまで考えた頃、ブチャラティの視界が闇に閉ざされた。眼は開いたままだが、瞳孔も開いている。同じく開いたままの口からは、唾液以上に血液が流れ落ちている。
 スタンドは攻撃を食らった瞬間のポーズのままだが、その各部にはヒビ割れが走り、だんだんと姿が消え始めている。本体の全身に施されたジッパーも少しずつ崩れ始めた。


「今度こそ終わりだな、ブチャラティ。もはや聞こえてはおらんだろうが、よくやったと褒めてやろう。たかがチンピラの親玉風情が、完全な状態でなかったとはいえ、このディオをここまで追い込んだのだからな」

 動かしづらい体でゆっくり立ち上がりつつ、内心ディオは安堵していた。やっと終わった。まさか、思い付きながらも今までずっと手を出さずにいた「仮の肉体」まで使う事になろうとは……。
 だが、それも片付いた。後はブチャラティを屍生人に変え、このワンチェンの肉体から離れるだけだ。これでやっと本来の計画に戻れる。ブチャラティを手駒に加える以上、ジョルノは仕留めたも同然。新しい肉体が馴染み、スタンドが完全な状態に戻れば、今度こそこの世界に頂点に立てる。
 しかし、それでも終点ではない。永遠の命も無敵の力も、辿り着くべき究極ではない。不老不死の肉体と時を操るスタンドを得た事で、人が本来抗う事のできない「時」すらも既に乗り越えたと言えるが、それだけでは不十分なのだ。まだ「先」があるのだ。そこに辿り着かなければならないのだ。

(そう、『世界』を超えた存在……即ち『天国』に!)

 そのためにも、この「予想外のアクシデント」の後始末だ。スタンドの腕を引き抜く前に、とどめの意味も込めてブチャラティの血を吸っておくとしようか。

 腕を肘までブチャラティに突き刺したままの『ザ・ワールド』がゆっくりと体勢を変え始めた。ディオ本体の腕が「エサ」に届くように。こうして、血管ではなく指から血を吸えるのも随分と久しぶりだ。

 ブチャラティは全く動く様子がない。たまに痙攣しているのも本人の意志によるものではないだろう。ガードを弾いた時の反作用でブチャラティの落下と『ザ・ワールド』の攻撃のどちらも軌道が逸れたため、正確に心臓を丸ごと破壊されたわけではないが、それでも完全な致命傷だ。その瞳にはもう何の光も宿っていない……。

「さぁ、我がしもべとなれィ、ブチャラティ!」




(……………………)



“ブチャラティ……”



(……………………)



“ブチャラティ!”



(……………………)



“あああああ! 何やってんだよぉぉブチャラティィ!”
“ブチャラティ! まだだ! まだ寝るんじゃあねえェ――ッ!”



(……………………)





 手の届く位置まで近付いてきたブチャラティの頚動脈に、ディオが手を伸ばす。
 そして、その指が…………止まった。

「……? 何だ……? 腕が……動かない……? 動かんだとォォォ!?」

 指は動くが腕が動かない。まるで何か固定されているかのように。
 よく見ると、肘の辺りに腕を一周するように何か線のような跡がある。いや、「跡」どころか、腕の中でその線の部分だけが凹んでいる。まるで何かで縛られているか、締め付けられているように…………。

「まさかッ!?」

 ディオは『ザ・ワールド』の視界に意識を移した。そこでは、ブチャラティに突き刺さったままの腕が、ブチャラティの傷口に付いたジッパーによって固定されていた。

「ブ……ブチャラティ!」
「へっ…………あいつら……寂しがってるかと思ってたのに、逆に追い返されちまうとはな…………思ったほど部下に慕われてなかったかな…………」

 ブチャラティの眼に光が戻っている。失った右腕はまだ血を流し続けているが、生きている。スタンドもヒビ割れはそのままだが、姿はまたはっきりとした状態に戻っている。崩れかけていたジッパーも元通りになっている。
 胴体の部分でほとんどダブった状態で串刺しになっている本体とスタンドには、どちらも傷穴にジッパーが生まれ、『ザ・ワールド』の腕を締め付けている。

「こ、こいつ、何故こんな力が残っている!? 傷は心臓まで達し、出血も限界のはずだ! 動けるはずが……生きていられるはずがない!」

 スタンドと本体は一心同体。スタンドの腕を封じられた事により、ディオ本体の腕もまた動かせなくなっている。そして、「スタンド能力の効果」であるジッパーによる束縛を受けているため、ディオは『ザ・ワールド』を「消して」逃れる事もできない。

「くっ……もう一度時を止めろ、ザ・ワール……」
「『無駄』だ!!」

 ボゴォ

 不完全な状態ゆえに能力発動が遅れたのだろう。ディオが再び時を止めるより一瞬だけ早く、『スティッキィ・フィンガーズ』の繰り出した渾身の左手刀がディオの首筋を捉えた。

 ディオは、ちょうどワンチェンの肉体との継ぎ目の部分から、ジッパーによって再び首を切断された。
 その途端、『ザ・ワールド』は蒸発するようにして消滅し、傷穴を貫いていたものが消えたと同時にジッパーがブチャラティの傷口を塞いだ。
 支えを失って落下し始めたブチャラティは、頭部を失ったディオ(というよりもワンチェン)の喉の辺りに新しいジッパーを貼り付け、必死にその引手を掴んだ。
 ジッパーは滑らかに開き、ブチャラティはほとんど自由落下そのままのスピードで床に激突した。一呼吸おいて、喉から縦に両断された首なし死体が床に倒れた。


(く…………よ……よくも! かりそめとはいえ、こんな奴を相手にまたも肉体を……!)

 再び生首となったディオだが、意識は鮮明なままだった。とはいえ、一旦手に入れた肉体を失った事と久しぶりにスタンドを動かした事で、その消耗は絶大だ。
 一方、うつ伏せに倒れていたブチャラティも顔を上げた。しかし、床に落ちた時に頭に傷を負ったため、そこから流れ出た血が顔を染めている。

(しめた! 奴はまだ右腕を繋げていない。血で目が塞がっている今なら倒せる!)

 ちょうどブチャラティの亡くした右腕の側に転がっていたディオは、髪と血管触手で少しだけ移動すると、すぐさま攻撃態勢に入った。

 ガシィ

「!?」

 攻撃しようとした瞬間、ディオは頭に何か強い力を感じた。すぐに視線を上に向けると、『スティッキィ・フィンガーズ』の左腕があった。その更に上からはジッパーが伸び、大きくアーチを描くようにしてブチャラティの方に続いている。

(な……何故だ? 奴は血のせいで目が……)

 グイィィィ

 そのまま『スティッキィ・フィンガーズ』はディオを引っ張り上げると、本体の近くの床に思いきり叩きつけた。

「ぐっ!」

 ジッパーで伸びていた左腕はすぐ元の状態に戻ったが、切断されたままの右腕を拾いに行こうとはせず、そのまま拳でディオを床に押し付けた。

「言ったろう? 何やったってしくじるもんなのさ、ゲス野郎はな……」

 本体の左腕で顔の血を拭いながらブチャラティが言った。
 そして、静かな口調とは裏腹に、スタンドの腕に力を込め始めた。

「おお……おおお…………!」

 ディオの生首は横倒しになり、右頬を床に付けた状態だ。真上から『スティッキィ・フィンガーズ』の左拳で押さえ付けられているため、逃げるどころか向きを変える事すらできない。それどころか、だんだんと頭蓋骨がきしみ始めている。
 今度はディオの頭に数本のジッパーが走り始めた。ブチャラティに触れられている部分から、ゆっくりと、放射状に。まだ閉じた状態だが、その数はだんだん増えている。このままでは、死ぬ!

「ぐおおおお! や……やめろ、ブチャラティ! オレを殺したとて、その傷ではおまえは助からん! おまえにも永遠をやろう。ギャングのボスとして永遠に君臨し続けることができるのだぞ! ジョルノからも『矢』からも手を引く! この町やイタリアだけではない。おまえならいずれは裏の世界全てをも支配できるだろう! だから……考え直せ、ブチャラティィィ!!」

 とにかく何としてもこの場を乗り切らねばならない。今のディオにあるのはその一念だけだった。
 だがブチャラティは、必死に甘言を弄するディオの顔を静かに見つめ、こう一言つぶやいた。

「その汗は……嘘をついている汗だぜ……」

 そしてまた『スティッキィ・フィンガーズ』の拳に力が加わる。

「うおおおおお! こんな所で……こんな所でええェェェェ!」

 ディオは必死に血管と髪を動かし、ブチャラティに向けて伸ばした。その一部がどうにかブチャラティに触れた、その時だった。

(……? この感触……?)

 ディオが触れたのはブチャラティの首筋……ちょうど頚動脈の辺りのはずだ。だが、この感触は……?

(こ……こいつ……死んでいる……?)

 ミシィ バキィ

「ぐぉぉっ!」

 きしむだけでなく、いよいよディオの頬骨か顎あたりにヒビが入ったようだ。ジッパーも増え、既にディオの頭全体を覆いつつある。

(く…………こんなッ……こんなジョースターの血筋でもないたかがチンピラなんぞに、このディオが……このディオが……このディオが! このディオが! このディオが! このディオが! このディオが! このディオが! このディオが! このディオが! このディオが! このディオが! このディオが! このディオが! このディオが!

 そしてブチャラティが最後の力を振り絞ってスタンドの左拳に込める!

「アリーヴェデルチ……!」

 骨が砕け、ジッパーが一斉に開き始める!

「こ……このディオが……ッ! このディオがああああああぁァァァァァァァ〜〜〜〜〜〜〜!!


 ドグシャアアア――――――ッ


 それが、ディオの3世紀にまたがる「波乱の人生」の幕切れだった。


「UAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 地下室に慟哭の咆哮が響いた。  ディオと同様、生首となって転がっていたワンチェンのものである。

「KAAAAA!!」

 泣き叫ぶワンチェンの頭から、皮膚を内側から突き破って無数の血管触手が飛び出した。
 正体が「血管」である割には触手の数が多い。血管をそれぞれ縦に裂く事で本数を増やしているのだ。再生能力を持たない屍生人であるワンチェンにとって、後先を全く考えず、ただ次の攻撃だけに全てを賭けているからできる行動だ。

「UUURRYYYYYYYY!!」

 白い髪を血に染め、顎が外れんばかりに口を開き、触手の力でワンチェンが跳ね上がった。

 ガボォ

「…………アガ?」

 ワンチェンが空中で止まった。しかも、中に何かが突っ込んできたようで、口が閉じない。歯も数本折れたようで、呑み込んでしまった1本が、首の断面からそのまま床に落ちた。

「やはりディオが死んでも元には戻らないんだな……」

 ブチャラティがつぶやいた。そのスタンドの左拳はワンチェンの口の中だ。

「おまえもご苦労だったな…………主人のために体まで捨てるとは、本当の忠義か、それとも単なる肉人形の習性なのかは知らんが、立派だったぞ……」
「アガガガガ……!」

 ブチャラティは相手の方を見ずに話しているが、ワンチェンは見えない拳を口に押し込まれたままでも刺すような視線をブチャラティに向けている。その目からは血と涙の両方が流れ続けている。

「もう休め……おまえもモストロも、せめて地獄では人間に戻れるといいな…………」

 ブチャラティはワンチェンの口に拳を突っ込んだままでスタンドの腕を持ち上げた。そして……

「アリーヴェデルチ、ワンチェン……」

 グシャァァッ

 ……そのまま全力で床に叩き付けた。


 そして――

「……えっと……これから何をするんだったかな…………この部屋の始末か…………ヴィッティマの死体も取り出さないとならないし…………連絡も要るな……………………その前に、まず下半身を戻すか……『肉の芽』を始末しなくては…………いや、それより最初に右腕の方か……………………まったく、つくづく『ボス』というのは疲れるな…………ディアボロは何が面白くてこんな仕事やってたんだろうな……………………」

 ――ブチャラティは独りでつぶやいた。




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対戦ソース

空条 Q太郎さんの「ワンチェン(with生首ディオ)」
かんなさん/言造さんの「ブローノ・ブチャラティ」


この対戦小説は 空条 Q太郎さん、かんなさん、言造さんの対戦ソースをもとにpz@-v2が構成しています。
解釈ミスなどあるかもしれませんがご容赦ください。
空条 Q太郎さん、かんなさん、言造さん及び、ワンチェン、ディオ、ブチャラティにもありがとう!

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